「他人に期待して振り回された時」や「望む結果が得られなかった時」私たちは、精神的に辛くなることがあります。
そんなときに、「他人のせいにしてはいけない」と思い込み、自分を責めて落ち込み、どんどん自分を苦しめてしまう人も多いです。それは、世間一般で「自責で生きよう!」とする風潮が強いからだと思います。
しかし、本当の「自責思考」とは、「自分を責めて生きること」ではありません。「何でも自分の責任」と考えるのではなく、「自分でコントロールできる範囲の責任を受け入れること」が正しい自責思考です。
正しい自責思考は、言い換えれば「脱社畜思考」であり、もしあなたが心躍るような人生を歩んでいきたいと思っているとしたら、必ず必要な考え方になります。
今回は、「他責思考を持っても良い」「自責と自己責任論の違い」「正しい自責思考」についてご紹介していきます。
松岡幸助
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目次
まずは他人のせいにしてもいい|他責思考とは
他責思考とはどういうものでしょうか。
他責思考は「他人に責任があると考えること」と一般的に言われています。
もしくは、何か物事が起こった時に「自分以外に全て責任がある」と考える思考のことです。
他責は心のセーフティゾーン
一般的に、「他責思考はよくない」と世間では考えらていますが、私は、「他責思考も時と場合によってはあっても良いのではないか」と思っています。
なぜなら、「周りに責任がある」と考えることは、ある意味「心のセーフティーゾーンになっている」からです。
私も、理不尽な理由で不当な扱いを受けたことがありますが、その時に「全て何もかもが自分のせい」と考えることはできませんでした。
そもそも「全て自分のせい」だと思うと心が苦しくなるし、自分の心を傷つけてしまうことにもなりかねません。
だから、まずは他に責任のあると考えても良いと思います。
ただ、その後で必ず「自責」についても考えて欲しいです。
「今回の出来事でベストを尽くせていたか?」
「自分がこうしていたら、それは起こらなかったのではないか?」といった視点で、少し一歩引いたところから、起こった物事を見つめ直してみることが「自責」ですね。
「自分を責める」のではなく、「自分の責任を考える」ことにフォーカスしましょう。
このような習慣を持っている人であれば、心が苦しい時、まずは一時的に「周囲に責任がある」と考えることも悪くありません。
ただ、それはできるだけ「周りには出さない」方が良いかもしれません。
やはり、グチを周りの人に話すことは、いくら最終的に自責で考えていたとしても、良い目では見られません。
場合によっては、あなたの信用を失いかねません。
自分の中だけの「セーフティーゾーン」として、まず辛いことがあった時は、「他責」で考えるというレベルにしておきましょう。
依存的な他責思考はやめよう
他責思考の中でも「依存的な他責思考」というものがあるんですが、これは持たないようにしましょう。
依存的な他責思考というのは、「勝手に他人に期待して、思い通りにならないことを他人のせいにすること」です。
例えば、極端な話ですが、「大学受験に不合格」となった責任を「予備校のせいにする」といったことです。
実際、世の中にはこういう人種の人もいると思いますが、絶対にお客さんにはしたくないですよね。
予備校は、塾生に「勉強するための最高の環境と最高のサポート」を提供しているだけであって、最終的な結果は塾生本人の問題です。
少しドライな考えかもしれませんが、「お金を払ってるんだから合格させてくれ」という親の生徒は私なら入塾させませんね(笑)
さて、こうした「依存的な他責思考」の人は、「コントロールできないものをコントロールしようとしていること」になります。
では、ここで職場における「期待と責任」についても考えてみましょう。
あなたは、部下に仕事を振ったにもかかわらず、1週間経っても、部下はその仕事を着手していません。
これは部下のせいでしょうか。それとも、指示をしたあなたのせいでしょうか。
どちらかだけが、「100%悪い」ということはありません。
一般的には、仕事をやらなかった部下に責任があると考えられます。
しかし、仕事を依頼した時点で、あなたの期待と部下の仕事量やスケジュール「お互いにすり合わせ」しなかったこと。
また、部下の仕事の進捗を確認しなかったこと、そこに「自分に責任」があるわけですね。
「期限を確認したり、進捗を報告するのは部下の努めだろ!そんなの当たり前だ!」と言う人は、論外です。
これが「依存的な他責思考」で、「期限を伝えなかった上司、進捗報告をどのタイミングですべきか伝えなかった上司」に責任があるんです。
「そこまでしなきゃいけないのか?」と思うかもしれませんが、「私たちの期待」は言葉にしなければ、分かり合えることはありません。黙っていて意思疎通できていれば、「言葉」は生まれなかったわけですから。
本当の自責思考とは
では、ここからは自責思考の本質に話を移していきます。
自責思考というのは、一般的には「何が起きても自分のせい」と考えることです。
「自責思考」に似た言葉で、「自己責任論」という言葉がありますが、これは「他人に何をされたとしても、それは自分のせい」と捉える考え方です。
しかし、私の考える「自責思考」は、あくまでも「自分に関わることで何が起きても自分のせい」と考えます。
自責思考に欠かせない「課題の分離」
本当の自責思考とは、「何でもかんでも自分に責任がある」と考えるのではなく、「自分の人生に責任を持つこと」です。
「自分の人生に責任を持つ」とは、「自分のコントロールできる範囲に対して、全責任を負うこと」です。
まれに、「自分の行いを棚に上げて、他人を叱責ばかりする人」がいますが、「何をされても自分のせい」と考えるのは「自己責任論的」な考え方です。
自責思考では、「他人が注意ばかりしてくる事」は他人の問題と考えて責任は負わない一方で、「注意を受けたことで感じた感情」は、相手のせいにしてはいけません。
嫌われる勇気という本の中では、この思考を「課題の分離」と説明しています。
注意をしてくる人を私たちはコントロールできないけど、どう感じて、どう行動かはコントロールすることができます。
自責思考を持つべき理由
もちろん、なんでもかんでも不満を押し殺して、辛い思いも全て自分のせいにするのは心苦しいものです。
そこまでして「なぜ自分の感情に対して責任を持つべきか」と言うと、精神的に自立するためです。
他でもなく、今の自分を作っているのは、自分自身だということを認めて受け入れることで、諦めて弱くなるどころか、強くなっていきます。
それが「精神的な自立」であり、そのように思えることで、初めて自分の足で歩き出すことができます。
すると、人生が変わり始めます。
ここで、会社への文句や不満について考えてみましょう。
私自身も会社員ときには、何かしらも会社や待遇への不満を持っていました。
そして、会社に対して「もっとこうなったらいいのに」とか「もっとこうしてほしい」っていう期待を勝手に持ちながら、それが満たされないことで不満を持っていました(笑)
上司が一度、「みんな文句ばかり言うけど、結局みんな好きでこの会社を選んで働いているんだろう」と私にグチをこぼしたことがありました。
その言葉を聞いた時に、「確かにその通りだなあ」とやけに納得しました。
もちろん、社員として会社への不満を提案に変えて、改善していくという選択もとれますが、実際は容易ではありません。
私も会社への不満を提案に変えて取り組みましたが、大きな組織では「変えること」にかなりの時間がかかりました。
だからこそ、会社の上層部が、その思いを汲み取って欲しいと社員が感じるのは、当然なんですが(笑)
しかし、気をつけなきゃいけないのは、その「文句とか不満を感じる自分」を作り出しているのは誰かと言うと、「他でもない自分自身」だということです。
だから、会社に対する不満というものを持った自分に対して、責任を持たなくてはなりません。
私はこの上司の一言を聞いて「だったら自分のビジネスを立ち上げて、不満のない仕事をしよう」と決め、独立しました。
最初にお伝えした通り、これが「脱社畜思考」ですね。
なんでもかんでも不満に思うのは自分のせい。
ただ、その不満を起こしていると相手のせいにするのは間違い。
これが正しい自責思考です。自責思考は、「自分の人生に責任を持つこと」です。
自責思考は「雑草」を刈り取ること
「生きてるだけで、人は良い種も悪い種も撒いている」という言葉があります。
だから、私たちは、定期的に悪い種が芽を出したら、それをきちんと取り除かなくてはいけません。
良い種だけが、土の栄養を吸って成長できるような環境を作らなければいけません。
悪い種が生えてきた時に、それを他人のせいにすることは、言い換えれば、雑草をそのまま放置することです。
雑草というのは、非常に生命力が強いですし、早いうちに取り除いておかないと、どんどん「育てたい種」にも悪い影響を及ぼしてきます。
きちんと雑草が生えてきたら根っこからかりとる。
それは他人のせいにせずに、自分自身と向き合うことから始まります。
自己責任論者は嫌いです
自責思考と似た言葉で、「自己責任論」という言葉がありますが、精神的に豊かに暮らしていく上では、その違いについてもきちんと理解しておく必要があります。
自己責任論者が持つべき「システム思考」
よく「自己満足の自己責任論」を唱える人がいます。
例えば、「自分と全く関係ないところで起きたトラブルや事件」に対して、何でもかんでも自分のせいと考えようとすることです。
もちろん、「全く私には関係ないから」と冷酷に生きるよりは、「当事者意識」を持っている面では素晴らしいと思います。
ただ、「課題の分離」の面から考えると、何でもかんでも「自分のせい」でもあると考えるのは少し違いますよね。
自分の関係のない問題に対して、当事者意識を持って問題に取り組むときは、自己責任論ではなく、「システム思考」というものを持つべきです。
システム思考というのは、冷静に物事を分析し、悪い部分を手直しするための「仕組み」を考案することです。
「自己満足の自己責任論」は、「自分のせいだ」と考えてるだけで、結局何もしてないんですよね。
例えば、職場で何か問題が起きたとしましょう。
システム思考の人は、直接的に自分と全く関係なかったとしても、当事者意識を持って「何か仕組みとして改善できることがないか?」「ミスが起こるステップがあるなら、誰でもミスを起こさないようにできる方法を作れないか?」と客観的に考えて改善に努めます。
自己責任論を押し付けるのはやめよう
また、たまに「他人に自己責任論を押し付ける」ような人がいます。
何か起きた時に、「それは、自己責任でしょ!」と言う人のことですが、これは絶対にやめてください。
そもそも「自己責任でしょ!」と考えを押し付けてる時点で「他責思考」ですよね。
しかも、人の気持ちが全く分かっていない人なので、どんどん人が離れていってしまうでしょう。
自責思考の根底にあるのはあくまでも「課題の分離」であり、自分にコントロールできるもの、そしてコントロールできないものを切り分けた上で、コントロールできるものに対して責任をもって生きるということですね。
例えば、その「いやあ、自己責任でしょう」っていう言葉を、本当に何か被害にあった人や災害にあった人にも言えるのかってことです。
自己責任なわけがないですよね。
繰り返しになりますが、自責思考は、「自分に起こったことに対して責任をもって責任を引き受けて生きること」です。
最後に
少し言葉が似ているので思考を整理するのが難しいかもしれませんが、要約すると自己責任論のように何でもかんでも世の中に起こっているものが、すべて自分のせいであると考えることは間違いです。
そうではなく、自分に起こったこと自分が感じた感情や自分の身に起こったことについて、「自分自身に改善すべき余地がなかったかどうか」と振り返ることが、自分の人生に責任を持って生きることになります。
それが、本来の自責思考だと思います。
自責思考を持って生きることで、確実に精神的な自立ができるようになりますし、そこから歩き出すことで、あなたには心踊る人生が待っています。